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平壌の戦い(へいじょうのたたかい、ピョンヤン-)は、日清戦争における最初の本格的な陸戦である。 == 戦闘前 == === 日本軍の動き === 混成第9旅団長大島義昌少将は、入韓直後から清国の大軍が平壌に集中するとの情報を得ていた。騎兵斥候を平壌に派遣し駐留させていたが7月下旬、清兵は義州を経由して平壌に接近、斥候隊は中和さらに黄州に退いた。8月10日、黄州から中和に偵察に出た時に有力な敵と遭遇、指揮官の町口中尉や竹内少尉などの幹部が戦死してしまう。 第9旅団にはさらに成歓の戦いでの清軍敗兵が春川周辺にいること、日本から第5師団残部が元山と釜山に上陸し、ソウルに向かうという情報が入る。このため警戒を兼ねて、朔寧方面に朔寧分遣支隊を派遣した。 大本営は、清軍を朝鮮半島外に駆逐することを決心し、8月14日、第3師団の半分の派韓を決定、さらに9月1日、両師団をあわせて第1軍を編成し、陸軍大将山縣有朋が軍司令官に任命された。 それに先立ち、第5師団長野津道貫は8月19日にソウルに到着した。このとき韓廷の事実上の首班は大院君であったが、清兵が陸続と南下の報を聞くと動揺してしまう。野津は、情勢判断の結果、朝鮮政府を動揺させないためにも、早期の平壌攻略が必要と判断し第5師団の北進を開始した。混成第9旅団にもとして義州街道を前進するよう命じている。 8月21日、混成第9旅団は龍山を先発部隊として出発した。元山にいた歩兵第12連隊(連隊長:友安治延中佐)第1大隊には朔寧方面への転進を命じ、同隊は麻田里で朔寧分遣支隊と8月24日に落ち合った。 一方、第3師団(師団長:桂太郎中将)は8月4日動員が発令されたが、大本営の指示で兵站部の編成が変更したので手間取り、完了したのは8月30日になった。このため8月28日に宇品から、歩兵第18連隊(連隊長:佐藤正中佐)基幹の先発隊だけを元山にむかわせることになった。結局第3師団主力は平壌の戦いには間に合わず先発隊だけが第5師団に属して戦う事になる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平壌の戦い (日清戦争)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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